醜いアヒルの子の腸に石を詰めてしずめたいんだ、僕は【後編】

そもそも醜い行いは何故、醜い行いとして認知されているのだろう。

『えー、3年A組の中村君が、自動車に轢かれそうな子供を助けたという感謝の報告が学校にありました——』

 学校の全校集会。

 今日のその内容は、生徒のひとりを褒めたたえるものだった。

『——これは大変素晴らしいことであり……』

 それがなんで褒められたことで、道端の老婆を蹴とばすのは責められたことなのだろう。

『——続いて地区大会優勝を果たした、野球部の表彰に移ります』

 スポーツで結果を出すのと、何が違うのだろう。

 人を幸せにすることは褒められて、不幸にすることは責められる?

 それが、さも当然かのような風潮が気持ち悪い。

 そんなふうに思うくらい、僕の醜悪はひねくれていく。

 心が綺麗だったり、努力が出来たり。

 そんなのって、ただ運が良かっただけじゃん。

 人助けで快楽を得られる脳みそを持ってるってだけじゃん。

 頑張ることが出来るなんて、ノルアドレナリンが分泌されやすいってだけじゃん。

 そういうふうに生まれたってだけじゃん。

だったら醜悪ぼくだって、誰かに認められても良いじゃないか……。

 容姿が醜いことを貶めてはいけないのに、心が醜いことは非難される——

――差別だ。

「わからないやつには、一生わからない不平等感だろうけど」

「なんとなくだけど、わかるような気がするな。安達くんの言ってること」

 街頭で照らされた夜道を、僕と佐村さんは並んで歩いていた。

 通っている学習塾からの帰路である。

 彼女とふたりで帰るのは、もはや習慣とされていた。

「一八六二年。リンカーンによる奴隷解放宣言。今の世じゃ奴隷なんて『ちょう非道!!』って感じだけどさ。それまでは奴隷を可哀想なんていう感性は理解されがたいものだった」

 そう言った佐村さんは続けて「えへへ。今日習ったところ」と、舌を出して笑う。

「そういう感じなのかもね。安達くんは」

「……佐村さんは、僕を気持ち悪いとか思わないの?」

「思わないよー。友達・・でしょ?」

「…………」

 例にもれず、僕の目を見ながら彼女は言った。

「……前に、誰にでも汚いところはあるって言ってくれたけどさ。それは心に綺麗な部分もあるから、自覚できることなんじゃないかな」

 例にもれず、彼女の目を見ずに僕は言う。

「初々しカップルを見ると、ほっこりする反面に妬ましいとか。事故にあったと奴に対して『ざまぁみろ』と思うけど心配もするとか。相反する感情を誰もが心に抱えているんだろうけど――

――僕にはその、綺麗なほうの感情が全くない……」

 幸せそうな人を見ると不快なだけだし。

 大怪我してる人を見ても、気分が高揚するだけだ。

「汚いほうの感情しか沸かない……」

「それがきっと、安達くんの個性なんだよ!」

 佐村さんは、腕を大きく広げる。

 個性――?

 

 そんなふうに、僕のことを言う人は初めてだ。

 少しだけ、自身の目が丸くなるの感じる。

 それも彼女と合わせることはできないけれど。

「別にいいじゃん」

 佐村さんは笑う。それは可憐という表現が似合うのだろう。

「思想は、自由でしょ!」

「……そりゃあ、思うだけなら自由なんだろうけど」

 いつか。

自分の、この下劣な思考が抑えきれなくなりそうで怖い。

 なにか別のことで霧散できないものだろうか。

 たとえばそう……。

 ……恋、とか。

 冬が訪れる。

 曲がりなりにも受験生である僕たちにとっては、繊細にならざるを得ない時期である。

 塾へ足を運ぶ回数も次第にふえてきた。

「昨日……。両親が離婚したんだ」

 そう唐突なカミングアウトをかましたのは、同じ塾生のひとり。

 そのとき教室にいた男子生徒どうしで、軽い談笑をしている最中だった。

 ぼくは思わず、口を手で覆う。

 他校生ではあるが、最近いやに暗い雰囲気を加味しだしていることには気づいていた。

 深刻な顔をして、何を言い出すのかと思ったら……。

 ……リコン?

 あーあー。よく聞く。よく聞く。

 ドラマとかでよく聞くやつね?

 どうしよう。

 どうしよう……!!

「……安達?」

 僕には、この状況が。

 ギャグとしか思えない!!

 口角がつり上がるのを制御できない!

 目尻に皺が出来るのを防げない!

――嫌われ者は生きていけない、この国では。

――そんなことは、分かっていたんだけど。

 でも駄目だ……、やばい。

 抑えきれない……!!

 ……溢れる。

「ご愁傷様(笑)」

 震える声で、ぼくは言った。

 生まれて初めて、心から笑って言った。

「そんなことより、受験が終わったら。みんなでディズニーランドにでも行かない?」

「……殴られた」

「まぁそりゃ……、ね」

 外は雪が降っていた。

 寒空の下、いつもの帰路を、僕と佐村さんは並び歩く。

 予報外れの天候のため、ふたりとも傘はさしていない。

「あの場にいつ全員が、僕の発言を非難した。まるで僕だけが、世界から除け者にされてる気分だったよ……」

「でも高校受験まで、あと一か月。塾に通うのもそれまでだし。残り期間少なくて良かったじゃない」

 そう笑う佐村さんは、いつもポジティブである。

 あと一か月。

 それで佐村さんと話す機会もなくなるのか。

「…………」

 今日、僕は自分の感情を抑えきれなった。

ならもういっそ。

 佐村さんへの想い全部、出し切ってしまおうか……?

 ずっと押し殺していた、この気持ちを。

 全部伝え切ってしまおうか——?

「さすがに寒いね」

 ハァーと、佐村さんは手に息を吹きかける。

 白い息が気温の低さを強調しているようだった。

――ああ、でも駄目だ。

 まだ、その時ではないだろう。

 こういうのは、タイミングが大事だから……

「ねえ安達くん。付き合わない? わたしたち」

 少しだけ前を歩いていた彼女が急に振り返る。

 思わず、目が合ってしまった。

――え?

 彼女は、今、なんと言ったのだろう?

「安達くんは……。自分のことを、あまり良く思ってないみたいだけど。それでも、わたしは確かな自分を持っている、安達くんが好きです」

 僕にとっても、彼女の言葉は意外そのものだった。

 言葉を、瞬間――失う。

 振り注ぐ雪の冷たさだけが、この世界が有する感覚のすべてであるかのように感じた。

「ていうか、わたし。君から言ってくれるの……ずっと、待ってたんだよ……」 

「ごめん無理。顔がタイプじゃない」

 僕は即彼女の言葉を断った。

「あー。でも。体つきは、好みだから」

 彼女の硬直した表情に向けて、僕は続けて言う。

「セフレ扱いで良かったら。考えてもいいよ?」

 佐村さんは目を引きつかせ、言葉を失ったと言わんばかりにたじろいだ。

 一歩の後ずさりを介し、「……あ」と声を漏らす。

 しかしすぐに、

「…………」

 俯き黙り込んでしまった。

 世界の感覚は、いまだ冷たさのみを残し進行を続ける。

 白色で視界を、雪が覆う。

 彼女は、僕と目を合わせずに。

 ただただ俯くだけだった。

「…………やっぱり、わからないんじゃん」

 雪が黒色に変貌をとげるように、世界は色を失った、

 僕のことを、どれほど分かったつもりでいたかは知らないけれど。

 少なくとも彼女の心は、気持ち悪いことを言われて、嫌な気分になるくらいには。

 

 綺麗だった。

――佐村さんが僕に想いを寄せてることには気づいていたし。

――だから僕は、その想いを汚してやりたくて仕方がなかった。

 結局、彼女も、僕の下劣さを受け入れることは出来なかったってわけで。

――実際、僕に。佐村さんに対して恋愛感情が無かったのかと言われれば、実はある。

 でも自分の恋路おもいを滅茶苦茶にしてでも。

 彼女の、あの引きつった顔を見ることのほうが。

 僕にとって価値のあるものだ。

 そしてそれ以上に僕は、僕自身・・・に対しても、嫌な気持ちにさせたいという欲求が働いた。

 そんなふうに思うくらい、僕の醜悪はひねくれていた。

 ひねくれて。

 ひねくれて。

 心の奥底なんてものは、とても見にくい・・・・ものになっていた。

――ああ。

 こんなんでこれから、一体どんな人生を歩むというのだろう。

 ひどく生きにくい。

 どうして僕は、こんなふうなんだろう。

 もっと単純な、心の清らかな人間として生まれれば、楽に生きれたのにな。

 ……でも。

 こんな自分が、なんだか特別なように感じて、少し誇らしかったりもする。

 誰に誇れるわけでもないのに。

 ……そんな世の中が妬ましい。

「いや絶対、後悔するよ、あんた。けっこー可愛かったんでしょ? その

 自室にて。

 市内の国立大学に入学して、悠々自適な生活を送っている姉が、弟の勉強机の椅子を占領して言う。

「……一応、僕受験前なんだけど」

「はあー? あんた受験生のくせに勉強なんかする気なの?」

 受験生が勉強しないで誰がするって言うんだよ。

「まー、あんたが根暗でひねてるのは知ってたけど。やっぱ、そーいう話は姉でもひくわ」

 姉はガラガラと僕の椅子で回転し始めた。

 弟から『なにか面白い話はないか』と、強引にエピソードを引き出した割は、随分と勝手な言い分である。

「……姉弟でも理解できないものかな? 僕の趣向とかさ」

「うん、全然!」

 姉ははっきりと、大声で返答した。

「……あんたさ、もうちょっと根性治さないと。ずっとひとりぼっちだよ」

「……」

 半笑いで、肩ひじを付き、彼女は告げた。

「……もう別にいいけどね。それでも」

 人を不快にさせるのが好き。

 好意を無下にするのが好き。

 努力を蔑ろにするのが好き。

「でも、もし……」

 僕は少しだけ、思ったことを言った。

「いつか、いるかも分からない。僕と似た|醜悪《かんせい》をもったやつに出会たときに。『別にそのままでいいんだよ』『なんてことない。素晴らしい個性じゃないか』。なんて言うために、僕の人生はあるんだって。そう思うようにしたんだ」

 下らないかもしれないけど。

 汚れた自分への言い訳かもしれないけれど

「だから、その時まで。僕は醜いままでい続けたいと思う」

 それが、生来の醜人が見出した結論だった。

「だって僕がキレイな心なことを言う人格を持ってしまったら。それが上っ面だけの言葉になってしまうから」

 みんなの輪に入れなかったやつに。

 唯一手を差し伸べる方法が。

 醜悪どうるいからの言葉だと思うから。

「自分が言ってほしい言葉ってだけなくせに。それ」

「……」

 姉は、呆れたように。つまらなそうに笑った。

「知ったようなこと言うなよな? 愛しちゃうだろ?」

「うわっっ! キモ!! それは勘弁だわっ!」

 そのときの姉の表情は、実に見飽きたものだった。

「邪魔してゴメンね。じゃ、受験勉強頑張って!」

 そそくさと、部屋を後にする姉を尻目に僕は思う。

 たぶん僕は、醜悪ぼく のままで。

 誰かと分かり合いたいだけなのだけど。

――きっと、それは叶わないんだろうなあ。

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